安倍・小沢症候群
『「我慢」と「我儘」』
「我慢」と「我儘」はよく似た字である。
安倍晋三氏が総理大臣を突然辞任した時の私の感情は一言、「一国の首相として覚悟が足りない」だった。
日露戦争の終戦交渉にあたった外相小村寿太郎の「覚悟」は、使命観を背景にしたものだった。
今の日本は「甘えの構造」の下、リーダーも国民も全くの腑抜けになってしまい、「覚悟」など遠い昔の物語になってしまった。
正解の御意見番・中曽根元総理は実に素晴しい意見を述べ、いま憲法改正を叫んでおられるが、なぜ現役の総理の時に憲法改正を主張しなかったのかと、実は呆れている。
「知行合一」の陽明学徒たるべき政治家の何と少ないことか、暁天の星を数えるが如しである。
私は本欄に「強いボクサーの条件は打たれ強さにある」と書いた。
いかにハードパンチャーでも、相手の強いパンチに耐えられなければ、チャンピオンはおろか、世界上位ランカーにさえなれない。
これはボクシングだけではなく、企業経営も、強く逞しい子を育てるべき教育界でも、もちろん政治の世界においても、である。
11月4日夕方、突然の「朗報」が飛び込んできた。
小沢一郎民主党代表辞任というマスコミの一報である。
本誌読者に共産党、社民党支持者がいる筈もなかろうが、民主党支持者は多かろう。
私にも多少のネジレ現象があり、前原誠司氏に好ましい人はいるが、民主党で大きな勢力を占める連合・自治労がいる限り、応援する気になれない。
その民主党に小沢氏は何が不満なのか、突然代表を辞めると発表したのだから、私は面白くて、嬉しくて仕方がなかった。
戦国時代で言えば、強敵の武田信玄や上杉謙信が死んだとの報を受けた織田信長の如き思いだった。
自民党にとってみれば、最終回、逆転の走者がホームベースに入る前に、相手の監督が「俺は野球をやめた」とベンチに戻ってしまったのを見ているような気分だったろう。
何が何だか分からぬうちに、負けたはずの試合に勝ってしまった幸運なチームのような気分だったのではないか。
『「我慢」こそが育ての親』
「我慢」が足りず総理を辞めた安倍晋三氏に対して、小沢一郎氏の代表辞任は「我儘」が理由である。
いずれ辞任の真相は明らかになろうが、二人の辞任劇は教育者にとって「他山の石」とすべきだと思う。
小沢一郎氏は65歳で、私と同じ時代に育った。
終戦時に3歳、そして小学校時代は、食べものも、着るものも、足りないものだらけの時代、「我慢」の時代だった。
私はピコイ時代、社員教育で、「3時のおやつ」の話を必ずした。
私の師・中村功から教えられた話である。
「お母さんお腹が空いた。おやつない」
「何を言ってるの、まだ2時でしょ。3時のおやつの時間まで待ちなさい」
「お父さん、次郎物語の本を買って」
「ウン、誕生日が来たら買ってやる。それまで待ちなさい」
等々。
今の親子と違い、いろいろしてやりたくても、おカネやモノが十分でなかった時代は、結局お互いに我慢しないと生きていけなかった。
しかし、モノがなくとも、「我慢」するという心は育てられた。
この「我慢」こそが、私の育ての親だった。
我慢をせず、思う通りにしたいというのを「我儘」と云う。
各家庭には大抵4~7人の大勢の子供がいて、兄は威張り、沢山おやつを分捕った。
その代わり、弟や妹が誰かにイジメられたとなると、「よし、兄ちゃんがやっつけて来てやるぞ」と颯爽と登場したものだ。
我儘な子は、金持ちの家庭か、一人っ子か、おばあちゃん子だった。
子供が大人になるための通過儀礼を経ずに成長すると、一体どんな人間になるのだろうか。
我慢のできない子は安倍晋三になり、我儘に育った子は小沢一郎になる。
今の世の中はモノだけ豊かになり過ぎて、感謝や有難みを知らない。
そんな子は皆、「安倍・小沢症候群」と断じていい。
お太陽様が見ていることも、御先祖様に申し訳ないということも教えられず、何か都合が悪くなると、全てが誰かが悪いんだと、他人の所為にしてしまう。
「僕の名案になぜ頭から反対するんだ。ねもうそんな奴等と一緒にやってらんない。おまけにマスコミも日経、朝日以外はデタラメばかり報じやがって。オレもう切れた。オレやーめた。
大体民主党は政権担当能力もホントはないんだし、次の衆議院選挙に勝てる見込みもないし・・・。ボクこんなところにいるのイヤンナッチャッタ」
私は幸いに一度だって小沢一郎を剛腕だとか、男として凄い奴だと思ったことはない。
彼と「日本国家論」を闘わせたら負ける気なんか全くしない。
「肝っ玉が違うよ、肝っ玉が」という気持ちである。
面白い続編はどうなるやらと思っていたら、数日後、小沢一郎は民主党の幹事連中から慰留工作を受けて、態度保留中とか。
「ウン、ボク困ッチャッタナ。皆がボクがイナイト、オ金もナイシ、沢山困ルッテ。ボクドウスルカナ。カーチャンに相談シテクルヨ」
我儘一郎君の物語、この先や如何。
その後の経過はご存知の通りで、「ボク、ジャアモウ一度ヤルコトニスルヨ」となった次第。
誠に呆れた嬉しい結論となりました。
メデタシメデタシ。
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